シンカラ4th stage

シンカラ3rd stage - 京都大学自転車競技部練習日誌
106.4km/1時間/1.2時間/なし

(振り返りデー)
起きた。おなかが痛い。おなかが痛くて起きた。
部屋の中を這いながら支度して、朝ごはん。疲労がありすぎて、みんな全然食べない。同じ食事が続くのはほんまにムリ。おおたにー!
久保田は気持ち悪い〜と言い、川嶋はおなか痛いですぅ〜と言っている。井上はついに、食べないように言っていた卵料理に手を出し始めた。二宮は頭痛と戦ってるし、吉岡は数日前からぶつぶつ文句を言っている。(栗田は…?)人には食べや〜とか言いながらも、自分は食べた瞬間から胃がきりきり痛くて椅子にまっすぐ座るのもしんどいほど。早く三角座りしたい〜って思いながら、ほんとにちょっとしか食べられなかった。身体の限界が見えてきた。
(みんな体調は全くよくありませんが、食中毒みたいなあからさまな体調不良ではないです)

スタート地点まで行くのに1時間ほど移動するからその時間はものすごーく寝たいんだけど、レース中に寝ないように朝コーヒーを飲むから全く寝られない。反対に、バス組はゴールまで先回りをするときに寝てたみたい。

さて、この日は実は宿の場所が1つ目のスプリント地点。つまり、スタートまでの移動はコースの逆走。はじめの3つの上りはただの起伏だと見せかけてそんなことはないことがよく分かった。あと、前日に川嶋が明日のレースどうなると思いますか?と聞いてくれたのはものすごく嬉しかったけれど、距離が短いから予想は難しかった。1級山岳を越えてからもまだ上っているのが謎だけど、54kmのレースだと思って、そこまで必死で集団についていこ!と声をかけた。
そして、この日は補給地点がない。そもそも全くあてにしてないけど。なので、吉岡がチームカーに乗ってくれた。マーライオン選手権へようこそ。そろそろゼリー系補給食がなくなろうとしているのが心配。

スタート地点に着いて、井上が実は朝から膝が痛いんですと。確かに腫れていた。メディカルカーどこや〜ってみんなで探したけど全然見つからず(は?)。プジャも連絡してくれたんだけど、車の場所は不明(は?)、すぐ横の病院で見てもらうことになった。井上についていった病院で事情を説明、痛がる井上を見て完走は絶望的だなと思った。スタートしないというのも充分ありだったけれど、出走サインをするだけで喜んでいたし、パレードはシンカラ湖沿いのど平坦。本人自らパレードランで様子を見ると言っていたのでとりあえず出走。
また、病院に行っている間に吉岡が日本に電話をしてくれていて、日本からの意見も聞くことができた。(内容は忘れた)吉岡さすが〜〜!!


3人そろうのは最後だと思ったので...この瞬間笑顔でよかった。

はい、スタート。長ーい上りが忙しくなる気がしたので早めにご飯食べようと思ったら、無線でWJICFの誰かが止まったと。井上か〜と思ったら久保田だった。六角〜!と言いながら我々を呼んでいた。RDのワイヤーがゆるいらしい。引っ張るものは持っていなかったけど、なんとか調整して(できてないけど)再出発。吉岡がいてくれてよかった。まだパレードラン中だったので、コミッセールカーも横で整備を待っていてくれて、久保田はそれにつかまって消えていった。平地とはいえかなりスピードが出ていたはずなので怖かったと思う。それにしても、この日出走の3人は、メカトラ、ひざいた、おなかいた。終わったー。
パレードが終わり最初の上りに入ったとき、また無線でWJICFの誰かが遅れたと。久保田か〜と思ったら井上だった。膝が限界らしい。そのまま脇に止まってもいいのに、チームカーと並走しながらそう伝えてくれた。そして、「これ、もういらないんで使ってください。」と、背中に入れていた補給食を全て置いていってくれた。フミかっこよすぎ!!!吉岡がいなかったら泣くところだった。そして、よく考えたら井上の走っている姿を写真に撮っていないことに気付いて、第2ステージで撮っていなかったことを猛烈に後悔した。
この後、止まる必要はないと言っているのにオバマが車を停めて、止まってバンを待つ井上のもとに走っていった。今考えると、このころからオバマの暴走はスタートしていた気がする。

さて、チームカーのもとの位置に戻ってすぐに、逃げがなかなか決まらないのと、地味にきつい上りが続くせいで選手がぽろぽろちぎれ出しているのが見えた。川嶋もそのうちの一人だった。何回か最後尾を走ったけれど、かろうじて周りの4人ほどと集団を作れた。メイン集団はずっと前に行ってしまっていて、短い下りを利用しながら前のちぎれた選手をどんどん回収していった。気づけば第2ステージのグループ川嶋とほぼ同じメンバーの15人の集団ができていて、チーム関係なしにボトルの交換を何本もした。我々のチームカーはまたもやグルペット世話係になった。
そうして下りに入った。耐えた―!!!川嶋に前に行くことは伝えて、プロトンまで帰ろうとしたら、なぜかオバマグルペットをひき始めた。引く必要はないよ(というかダメだよ)、下りは選手は速いからもっとスピード上げないと追いつかれるよ、と言ったのに明らかにルームミラーを見ながらグルペットを引いている。プジャも何回も伝えているのに全然言うこと聞いてくれない。グルペット先頭の選手はそりゃ前に車がいたら後ろにつきますよね。バイクコミッセールはすぐ横にいるけれど、自分のチームの選手のみをひいてるわけじゃないから(?)注意できないみたい。後部座席の日本人のひやひやはたまったもんじゃないです。


遅れる川嶋

かなり長い間集団を牽引した後、プロトンの後ろに続くチームカーの元の位置へ。後で聞くと、久保田は上りで何度もちぎれかけたがなんとか我慢し、最後は下りだったので集団でゴールできたらしい。そして、川嶋が集団にいないことからチームカーも近くにいないことを察知して、他のチームからコーラなどをもらっていたそうだ。曇りでよかった。
長い上り、2人ともよく耐えた!明日はもっと長いよ…


さてさて、距離も短く、ゴール後の移動も短いので、すぐに宿に帰れた。ちなみに、自分のおなかはずーっと痛いまま。あまりに辛くて部屋ではほとんど動けなかったので、ボトル洗浄等すべてを放棄して20時前に寝た。こうして9時間睡眠を手に入れた。そういうわけで、この日も振り返りデー。
この9時間睡眠のおかげで、翌日からは腹痛がなくなりました!睡眠ってほんとに大事。


雑感/補足
・スタート地点の横に病院があったのはたまたまです。
・でも、その病院にはテーピングテープ(の代わりになるもの)がなかった!
・結局、病院で診断結果を聞いたわけでもないし、何かをしてもらったわけではない。詳しくは覚えてないけど。お医者さんはもちろんインドネシア語しか話さない。

オバマが勝手に動くようになってきた。
・下りでグループ川嶋をひけ、とは一言も言ってませんよ!
・久保田が呼んでると思うから、早くプロトンに帰りたい!と何回も言ったけれど、オバマが聞いてくれずずっと川嶋グループを世話することになってしまった。日本人とオバマの間に挟まれたプジャがかわいそう。プジャはちゃんと我々の言うことを分かって、伝えてくれているのに。
グルペットが15人にまで成長したのにも、オバマのひきがきいてた気がする。下りに入るタイミングとか、ちょっとレポートの時間が前後していますが。
・でも他チームにもボトルを渡すことがあるのは理解してくれたかな。ただ、しょっちゅう自分で渡したがるのが困る。危ないから運転に集中していただきたい…プロトンまで帰る途中、一人で走っていた選手を抜くときに何も言わなかったら、自分の飲みかけペットボトルを渡していたのには笑った。
・この日の晩、オバマは(オバマ曰く)コミッセールから怒られたらしい。詳細は知らないけれど。コミッセールからなら、わたしにも連絡があってもいいのでは?と思うけれど、そういうのはなかった。いちいちなんでや?と主催側に聞くのも面倒だったので聞かず。
・とは言いつつも、レース前の氷と水運び、クーラーボックスのセッティングまで全て言わずともやってくれるのはほんとにありがたい。おかげで井上とプジャと病院に余裕を持っていくことができた。

・睡眠はほんとに大事です。この日を逃すと休む日がしばらくないことも選手と共有。
・睡眠時間を増やすために、ホテルのランドリーサービスを使うこともできた(し、選手の一部は利用していた)けれど、変なところ潔癖なので利用できず。手洗いとファブリーズで2週間乗りきった。
・この日はボトル洗浄を翌朝にまわしたけれど、このあたりからOS-1等の粉が足りない説が浮上していたので、使わなかった粉ドリンク入りボトルは洗わずにキープしておいた。クーラーボックスの中にあるからまあえっか。全然よくないけど。

・他チーム選手から回収したボトルがCAMELBAKだった。普段からこのボトルを沿道に投げているのか…?中にカビが生えていたから別にいいわ〜ってなったのか…?どっちでもいいけど、ニックネームしか書いてないから返しにいけないよ?!(WJICFのボトルはチーム名と名前を書いてました)

p.s.
フミの感動の話からそう経たずしてきたラインの、「膝痛でリタイアします」という熊谷の一言になんかものすごくいらっとした。ごめんね。

シンカラ5th stage - 京都大学自転車競技部練習日誌