シンカラ0日目

11/16 (1stステージ2日前)
 ついに出発の日になった。
 シンガポール-パダン(スマトラ島西部の空港がある町)は飛行機で1時間弱の距離。けれどもなんと、直行便がなかった!わざわざ逆方向のジャカルタかKLを経由しないといけない。今回は選手がジャカルタを経由するので、集合しやすいように最後の飛行機を一緒にするべくジャカルタ経由を選んだ。これで、乗り継ぎ含めて7時間の移動になってしまった。もはやマラッカ海峡を泳いだ方が早そう。
 無事ジャカルタで集合でき、パダンに着いた。小さい空港で荷物の出てくるレーンが短いのに、同じ飛行機に乗っている他チームもたくさんいたから大量の自転車とスーツケースが次から次へと出てくる。全て回収して外に出ると、大会関係者らしき人が。何やらいっぱいサインして、謎の記念写真を撮って、アテンダントと合流できた。アテンダントは正式には連絡係(Liaison Officer、以下、LO)。通訳じゃないです。主催側からチームへの連絡は全てこの人を通して行われる。細かいスケジュールなども全てLOに聞くことになる。うちのLOはプジャさんという女性。インドネシア語、英語だけでなく日本語も少し話せる。車は?と聞くとまだ来てないらしい。ひたすらプジャさんがごめんね〜と謝ってくれた。
 50分して、チームカーがやってきた。1台だけじゃもちろん乗れない。さらにその2時間後にバスがやってきた。到着時間を伝えるのが遅かったせいかなと思ったけれど、他チームもずっと一緒に空港で待っていた。
 ここからバスに荷物を積むのだけれど、チーム専用バスではなくて、なぜかタブリーズと書いてある。うちのバスは…?結局、タブリーズバスにスーツケース、自転車を(かなり雑に)詰め込まれた。人間もどの車に乗るかでかなりもめたが(どうつめても座れない)、うちの2人がタブリーズと相乗りになって解決?した。来る前に読んだブログの通りだ…まあ、移動できたからそれでよし。ちなみに、あのタブリーズと相乗り?!いいな〜と思われるかもしれないけど、移動時間の長さに選手が怒って車内の雰囲気がすごいことになっていたらしい。福島はなぜかプジャの指名でチームカーでした。多分、女性は一緒に乗った方がいいという理由かな。
 先にコースを調べていて分かったのだけど、空港-宿の移動は、1stステージのコースをちょうど逆走する形になっていた。選手に見といてね〜と言って出発した。(この時点でもいまだコース情報もこの日の宿の場所の情報もなかったけれど、結果的には当たっていた)

スマトラの道は、路面はとても悪いというわけではなさそうだった。常に片側1車線。道路だけ舗装されていて、その横はすぐに土。東南アジアって感じ。道路の脇の土との接合部は段差ができていることが多いから注意した方がいい、常に軽いアップダウンと細かいカーブが続いているなど、選手と話しながら3時間移動した。運転は、挨拶代わりにクラクションを鳴らしまくりながら、追い抜きを繰り返すものだったが、想像していたほど荒くはなかった。(*)
宿に到着。この時点で夜8時。部屋はちゃんと準備されていた上に、4〜5つ星にランクされるようなところだった。
夕食後に自転車組み立て、整備。選手に自分でやってもらった。自分はその間に自転車をホテルにおいてもらうための書類を書いたり(値段の高いものだから必要らしい)、人から借りたカメラの調整をしたりした。ホテルのチェックイン時も、この書類を書くときもパスポートが必要だった。ちなみに、この整備、栗田の変速がうまくいかなかったんだけど、23時をまわっているのに7-11チームが手伝ってくれて、無事動くようになった。セブンイレブンありがとう!家の近くはファミマしかないけど、セブンイレブン
これでやっと就寝。さて、翌日にはライセンスコントロール等があるはずだけど、予定は…?早いうちからLOに聞いていたけど分からなかった。セブンイレブンの監督も分からんって言ってたからいいや。午後に宿泊ホテルで行うという噂だけは入手できた。

11/17(1stステージ前日)

朝起きてやっとこの日の予定が分かった。
13:30 ライセンスコントロール
14:30 監督会議
     はて、チームプレゼンテーションは何時からや?

午前中は特に予定はなく、選手は他チームの様子を見ながら近くを少し走りにいった。この時間に整備をしているチームもいた。自分はLOに呼ばれて、チーム全員分のパスポートと飛行機のチケットを持って部屋とロビーを行ったり来たり。他にもサコッシュがもらえたり(多分記念品)、何かとうろうろしていて、常にやることはあるといった感じ。ちなみに、LOや主催の方とのやり取りはWhatsAppかMessengerを使用していた。LINEもしているみたいだけど、こちらの方が連絡早そう。
お昼前に飲み水が急にやってきた。出発前にも聞いていたが、レース期間中は毎日2箱飲み水がもらえる。この日から支給開始らしい。

*ライセンスコントロール* (同ホテル)
必要なもの
・国際ライセンス
UCIレター写し(回収される)
・ジャージ

もらえるもの
・ゼッケン(2枚×6人)、安全ピン(8本×6人)
・計測チップ(6+代車用2)、プレート(6)、タイラップ(たくさん)
ちなみに、計測チップをなくしたら1つあたりUSD130くらいとられるらしい。気をつけな。

 書類等の名前が間違えていたりしても、ここで訂正できる。ちなみに、説明、やり取りは全て英語です。

*監督会議* (同ホテル)
もらえるもの
・プログラム(たった1冊!) ←  コース情報が書いてある
・チームリスト(ぺらっぺらの紙1枚) ← ゼッケン番号はここ参照
・チームカーに貼るシール(前後2枚)
忘れたけれど、1枚なにかにサインした。

自分のミスで本来”16”のはずのチームカーの番号が”19”へ。本当に申し訳ないです。このチームリストを見て分かったのが、公式HPに書いてあるものと異なっているということ。でも、日本から来ているのがWJICFだけということに変わりはなかった。
それぞれの場所はLOに聞いたら大丈夫。ホテルの人が英語を話せるとは限らないので、そういうときはLOが通訳してくれた。今回はしなかったけれど、スーパーに行きたい、翌日のコースを車で少し走りたい等あれば、LOに言えば何とでもしてくれそうだった。

チームプレゼンテーション (宿から4kmほどの場所)
 夜にあることは分かっていたけれど、夕方に急にLOに呼び出されて出発。そして、3分間スピーチしてねとここで言われた。ぱーどぅん(頭真っ白)。クッキングできちゃいますよ。というわけで、みんなで必死にコントを考えた。
会場は屋外で、かなり豪華にセッティングされていた。ちなみに、早く行かないと席がなくなります。その後しばらくお偉いさんの話や有名らしい歌手の歌を聞いた。全部インドネシア語なので右から左に抜けていく。それが終わ…らないうちに食事に移動。この日は伝統的スタイルにのっとり、床に座って素手で食事をとった。ウェットティッシュ必須。WJICFはLOの指示で全員長ズボンをはいていたけれど、他チームはそうでもなかった(そもそも長ズボンを持っていないところもあった)。インドネシアで出てくるお米はぱらぱら。素手で食べるのはかなり困難であった。インドネシア人はさぞかし手先が器用なのかと思いきや、自分の向かいに座っていた市長さんクラスの人もお皿にかなりお米が残っていたので誰でも食べにくいようだ。
食事が終わるとやっとチーム紹介。今回の遠征においてWJICFをアピールすることも仕事のうちの一つで、日本から日の丸つきの扇子とはちまきは持ってきていた。選手はそれを身につけて登壇。5秒間手を振っただけで終了した。自分は行かなかったけれど、チームスタッフも一緒にステージに上がれる。その後もう一度、プレゼントをもらうためにチームから1人がステージへ。はちまきをしている二宮が行ってくれた。その間、ずっと写真を撮ったりしていた。
この後はすぐに帰れるのだけれど、WJICFは人気がありすぎて写真撮影会が始まってしまった。翌日はレースがあるから早く帰りたいのに、地元の美人さんが泣きながら次から次へとやってくる。もうこれが最後っていうのを20回くらい繰り返して、ようやくバスに乗れた。疲れた。
翌日は宿の移動もあるが輪行バックはチームバス、カーとは別に移動すると聞いたので、何時から積み込みかLOに確認したところ、朝の3時と言われた。この時点で22時。絶対ウソやろ。どちらにしろ、輪行バックにはチーム名のついたシールを貼らないといけなかったので貼る。積み込み時間は選手にも伝えていたけれど、シールさえ貼っていれば誰か積んでくれるやろ作戦に変更した。ミーティングでレースのことと体調を確認して解散。その後、全員分のコースプロフィールを作って就寝した。これが初めてレース関係のサポートをしたときだったと思う。

この日学んだこと
・寝る前に目覚ましかける
・LOは決してレースのルールを知っているわけではない。DNFになった翌日以降は走れないことを知らなかった。Really?とか聞いてくるので、AACAみたいにゾンビルールがあるのかと思ったけれど、もちろんそんなことはなかった。


かなり長くなったけど、書けてないことや面白かった話がたくさん。
レースレポートのアップはしばらくお待ちください。