今年のインカレロード出場にあたり本当に多くの方々からご支援をいただきました。サポート陣の皆さん、中田コーチ、OBの方々、スポンサー様、厚く御礼申し上げます。
色々思うことがあるので長文になります。
残り2周で赤旗を振られた昨年のインカレロードから早1年。あの日の悔しさは今でも鮮明に覚えている。それだけに今年のインカレに懸ける想いは強かった。目標は入賞10位以内。夏合宿時の実力的にも十分達成できると信じていた。個人ロードと全日本選手権を死ぬ気で完走したのもすべてはこの日のため。長距離ロードレースの経験もしっかり積んだ。しかしレースを目前に控えた8/22、まさかの風邪を引いてしまう。夏風邪は長引くとよく言われるとおり以降毎日37℃前後の微熱が続く。メンタルボロボロで綾野さんをはじめ何人かに相談に乗ってもらった。結局レース当日朝の体温は37.2℃。正直レースを走る体調ではなかった。中田コーチとも相談しパレード走行だけして棄権することにした。今回私の体調のことでチーム全員に心配をかけてしまった。主将がチームの雰囲気を悪くしてどないすんねんって話やね。すみませんでした。最後まで主将らしいこと何一つ出来ひんかったなあ。
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【レースレポート】
13.4km×13Laps=174.2km
44位 4:52’09” (+0:10’42”)
Ave. power 179.1w NP 234.1w Max. power 728.5w TSS 359 IF 0.86
終始頭がボーっとしていたので内容殆ど覚えてません。
昨年同様最初半周はローリング。奥の上りで一旦整列しリアルスタート。最初2周はかなりハイペース。 しばらくすると10人ほどの逃げが決まる。私はすでに虫の息。逃げ集団の人数が多いのとメンバーが有力なこともあり、メイン集団とのタイム差は2分弱で推移。またロード総合を狙う大学の思惑が交錯し6周目まで常にドンパチ。7周目新コースの上りで日大武山選手がお試しアタック。え、マジ?? これは本気アタックもそう遠くないなと思っていた矢先、7周完了手前の補給所の上りで斜め前にいた武山選手が本気アタック。それに横にいた福原さんや京産小出選手、中央奥村選手が追随するのを視認……しただけ。身体が動かなかった。そのまま8周目に入り、エースを発射した有力校は誰も集団を牽かない。その瞬間メイン集団が完走グルペットへと変化した。その後2周くらいは単騎参戦の追走したい人間が断続的にアタックをかける。ようやく落ち着いた頃には元気な人間は皆前に飛び出していて、私の集団は瀕死状態の人間しか残っていなかった。あとは先頭とのタイム差を気にしながら完走を目指すだけ。ラスト1周の奥の上りでペースアップがあり私は千切れた。完全に力尽きた私はドクターカーに追い立てられながらラストの右コーナーを曲がりゴール。
【雑記】※内容がかなり重複します。
正味今日の体調的に出来ることは限られていた、というか出来ないことが殆どだったので目標はアタック合戦に耐えること。逃げが決まるまで耐えれば完走も見えてくるかなといった感じ。
リアルスタートが切られると、本当にキツいがギリギリ耐えられるペースでレースが進んだ。正直最初2周は周りにまともに走れそうな人間がいなかったので、前方を注視して中切れに巻き込まれることを未然に防いだ。一瞬ペースが緩む瞬間があれば見逃さずに集団先頭付近まで一気にポジションを上げる。各登坂前には必ず前にいるようにした。新コース狭路区間から旧コースに戻る際のインターバルは前の選手がかっとんでいく中VO2max領域に収めて淡々と丁寧に踏んだ。なるべく無酸素領域に入れないようにパワー抑え目で対処していたことが終盤ガス欠にならずに済んだ最大の要因だと思う。Maxパワーが728w、NP234wということからも分かる。
そんなこんなでとりあえず10人ほどの逃げが決まりほっと一息つこうかなと思うが大学対抗ポイント暫定トップの中央大が揺さぶりをかけるために何度もアタックし、それに呼応した日大や日体大、明治などがカウンターアタックを仕掛け集団が落ち着かない。休む暇がなくじわじわとダメージが溜まる。4周目くらいかな?しんどすぎてゼーハーしてたら北大のヨースケに「三味線弾いてんの?」って訊かれた。いやあれほんまにキツかったんやで笑。ただ他愛もない会話をしたことでリフレッシュできた。
平地で松山が右から半ば強引にポジションを上げていくのが見えた。10秒後くらいに右前方から身の毛がよだつ音が聞こえる。難なく回避したが集団を見渡しても松山が見えない。大落車に巻き込まれたと悟る。ここからレースが終わって松山の顔を見るまで彼が生きているか気が気でなかった。
7周目の新コース上りで武山選手がお試しアタック。神大の野本くんやったかな?一緒に「やめてくれー」って言った気がする。集団内に知り合いがいるのはええもんやね。
そして運命の7周完了手前フィードゾーンの上りがやってくる。絶対にアタックが来ると感じていたのでしっかりと集団前方で登坂に入る。案の定一番斜度がキツくなるところで斜め前の武山選手がフルガスアタック。即座に身体が反応する。しかしここで一瞬の迷いが生まれる。 ここで追走に乗ると最後まで身体が保つのか?そもそもローテを回せるのか?完走したくないのか? そういった邪念がよぎった途端、身体が動かなくなった。結果横にいた福原さんの進路を塞ぐ形となってしまったことは素直に申し訳ないと思う。まあ押しのけてくれたからええんやけど。
S/F地点を越え、下りきった頃には周りは取り残された者たちで埋め尽くされていた。集団全員が察する。 あ、この集団終わった… 言葉で表現するのは容易ではないが、落胆と悔恨が入り混じったあの何とも言えない空気感は二度と味わいたくないものだった。各々この日のためにハードなトレーニングを積んできて最高の状態にあったモチベーションが砕け散る瞬間でもあった。平地は全員が他人任せ。 おいどうすんねん… と言っても先ほどのペースアップで瀕死の重傷を負っていた私にとっては回復に充てられるありがたい時間。同時にこんな集団についていくことしかできない自分にどうしようもない怒りと虚しさが押し寄せる。考えても仕方ないのでこの集団に身を任せ絶対完走すると覚悟を決める。
その後も何とか前に追いつきたい選手が断続的に飛び出す。当然私は何もできない。ほんまに無念。意志ある選手がある程度行ってしまったあとは本当にペースを刻んで完走を目指すだけ。奥の5分の上りで向井田さんに 水ある? と訊かれる。唯一のボトルを黙って差し出す。自分はいつ千切れてもおかしくなかったのでせめて向井田さんには完走してほしかった。
そろそろ両脚が本格的に攣り始める。70km地点くらいから兆候はあったが、ついにまともにダンシングが出来なくなる。毎周回フィードゾーンの上りで千切れかけ、下りに入る前にギリギリ追いつくことを繰り返す。熱と疲労が相まって頭がボーっとして思考することが出来なくなってきた。限界を通り越した。
ひたすら無心で周回をこなしついに最終周回の鐘を聞く。去年はコースサイドで聞いた音。最終周なので登坂ペースが上がる。当然新コースを抜けた先のインターバルもキツくなる。ついに身体に力が入らなくなりドロップ。今レース一の反省ポイント。あそこで死ぬ気で食らいつけば…と今でも思う。完走確定して気が抜けてしまった感が否めない。まあたらればやけどね。スッカスカの脚で13回目のフィードゾーンの激坂を登った。岩見や牧さん、安井が全力で声をかけてくれた。最終コーナーを曲がるとあちこちから自分の名前や京大と呼ぶ声が聞こえた。とてつもなく長い173kmだった。
ここから色々思いの丈を綴ろうかと思ったけどこれ以上長くなるのはあれやし、まとまる気配もないので一言だけ。
もっと勝負したかった。4回生と走るインカレは楽しかった。後輩たち、来年は一緒に走ろう。
岩見、サポートありがとう。毎周回最後の上りの入り口で受け取る声援がほんまどんだけ力になったか。ラストイヤーは松山と同期3人でインカレ走ろう。あ、中山さんも同期やったか笑
完璧なサポートをしてくださったサポート陣の方々も本当にありがとうございました。皆さんの力なしでは3人完走という結果は残せなかったと思います。
最後に遠くまで応援に来てくれた両親に感謝します。
photo: F. Fukai様 綾野さん 中田コーチ
来年はもっとまともな順位獲ります