シンカラの準備と苦悩

11/18〜26にスマトラ島西部で開催されたUCI2.2 Tour de Singkarak2017 のお話。

久しぶりの登場ですが、自分自身の振り返りと、今後同じレースに行くことになった人に少しでも参考にしてもらうためのサポート記録という形は変わりません。でも、今回はレースレポート多めでお届けします。

行くことになった経緯
[前提:福島はシンガポールでワーホリ中です。]
 1stステージのちょうど3週間前、森田さんからツールドシンカラの監督になるかも〜という連絡が。スマトラ島はすぐそこだし、森田さんが監督ならサポートに行かない選択肢なんてないと思い、サポートリストに名前だけ入れてもらった。インターン先にこのことを話したところ、休んでいいよとのこと。こうして行くことが決まった。
 しかし、移動日も含めると2週間もあるレースなので、他にサポートとして来られる人がなかなか見つからないまま、結局森田さんも来られなくなった。それでも監督は出場の申請に必ず必要なので無理やりにでも誰かを立てるしかない。はじめに監督を打診されたときはかなり考えた。監督になると必ずチームカーに乗らないといけない。選手以外の人間が監督1人というのは少なすぎるので人探しは継続していたが、今年の熊野のことを考えると、自分が車の外で動ける人間になった方がいいと思った。すぐに栗田と吉岡に相談。今回はラインレース、そしてすぐに申請しないと間に合わないという理由で受けることにした。こうして、監督になってしまった。
 この時点ではあんまり乗り気ではなかったけど、普通の日本人より東南アジア慣れしてることだけはちょっと自信ありといった感じ。(監督になってよかったのかは、最後のまとめで振り返ります)

準備、書類編
 この欄作っておきながら、日本にいなかったために、基本北山さんに代わりにやってもらったのでよく分かりません。
まず、申請にあたって、UCI IDとJCFの海外遠征許可証(UCIレター)が必要(他は…分かりません)。UCI ID(codeではない)は国際ライセンスに書かれているんだけど、ライセンスの発行を待っていては間に合わないので各都道府県の車連の方に協力してもらって、IDだけ先に教えてもらった。ライセンスは後から出発に間に合うように届けてもらった。UCIレターを得るためには、選手は副申書も書いてたみたい。まあ、大変ということです。自分は何にもしてないけど。
そして、統一ジャージの準備。熊野で昨年使った青いのと、今年使った黒いものの二択。見つけやすいから青でお願いします!と言ったものの、こちらは黒と違って予備がなかったみたいで、昨年記念に買い取ったはずの樋口から回収。ごめんね。
そして、熊野のときチームカーがレンタカーで他チームと比べて地味すぎたので、チーム名が書かれたマグネットがあったらいいなと思っていた。北山さんに頼んで作成してもらった。
 書類作成、申請にあたっては西学の石井さん、北山さんをはじめたくさんの方にお世話になりました。本当にありがとうございます。

準備、持ち物編
 まず、シンカラという単語を調べて出てくるプロチームの人のブログを片っ端から読んだ。キナン加藤さん、アンカー西薗さん、学生時代の木村さんのもの等。前2つはレースの裏側(以下、裏シンカラ)のこともたくさん書かれていて勉強になった。
 それらによると、、、ドライバーとアテンダントが各チームにつく、たまに宿がドブネズミの匂いがしたり、天井がなかったりする、なんやったら宿が予約されてないときもある、2年前は集団食中毒でバタバタ人が倒れていった、などいろんなことが分かった。ほう。2週間キャンプするつもりで行けばいいのね。そして、予想外なことが起こるのは当たり前らしい。
 そして、中西さんに持ち物や気を付けることを聞いた。それによると、出される食事はご飯以外には手をつけず、あとはプロテインとビタミン剤で栄養を補うようにと。但しそれだけだとご飯の味に飽きるから、ふりかけやレトルト食品も持って行った方がいいらしい。ほう。でも、シンガポールでレトルト食品といえばサバ缶しか売ってないんだけど…(結局何を持って行って、何がよかったのかは最後のまとめで)。そして、飛行機に預ける荷物がなくなっても出走できるように、シューズ、メット、ジャージは持ち込む荷物の中に入れることも教えてもらった。 これら全ての情報を選手と共有。

 しかし、サポートセットはすべて日本においてきた。チームカーに積めるような工具セットはもちろん、カメラすらない。(出発前からcyclowiredにレースレポートを載せてもらえる件は聞いていた)カメラがないと記録を何も残せそうにないので、知り合いから借りた。
 そして、レース情報を公式ホームページでずっと探していたのだけど、出発までにコース情報がアップされることはなかった。ただ、スタート/ゴール地点、スタート時間、宿のある町等が書かれたもの(以下、行程表。そう呼ぶには程遠いけど。)は載っていた。それを印刷しておいた。そこからコースを推測し(インドネシアは市街地を除き、舗装されている道は限られているので通る町の名前を調べれば推測は容易)、1st〜4thステージまでは、コースを印刷して持っておいた。それから記録用のノートも。コースはこれに貼っておいた。
 あと、ホームページには出場チームが書かれていて(これがまた、合ってないことが現地で分かるんだけど)、日本から行くのはWJICFだけだということが分かった。
 
その他
 選手と大人数名は日本で事前ミーティングを行っていたらしい。何が話されたのかあまり情報が入ってこなかったので、後輩を派遣すればよかった。送られてきた議事録に「監督の言うことを聞かないと日本に帰れない」と書いてあったのが謎。インド洋に流してもいいと解釈。
 
 出発までにレースディレクターやオーガナイザー(Jeffさん)の方を教えてもらった。何かあればその人たちに聞くようにと。ここからは日本に残る西学の方よりも直接こちらに聞いた方がよさそうだ。
あと、送られてきた招待状には、16〜27日朝までのご飯と、期間中の移動、宿泊の予定はすべて面倒をみると書いてあった。(つまり全て大会持ち、パダンの空港にさえ行けばよい)
空港でビザを取得しないといけないのか?これがスポーツ目的の入国だとややこしい。まあ賞金を取る予定はないのでビジネス扱いにはならないだろう。この点に関しては誰に聞いても分からなかった。

そうして、11月15日になった。選手はこの日の夜に関空から出発する。自分は翌朝発。アテンダントとドライバーがいることは確認済みだったので、ちゃんと翌日会えるのかを今まで書類等書いてくれていた方に尋ねると、「あ、飛行機の時間ジェフさんに言って」と。このとき、選手の大阪出発まで6時間を切っていた。急いで連絡。連絡がついてよかった。ついでにドライバーの2人の名前も教えてもらった。でも、予定通りに着けば、到着まで24時間を切っているけど本当にちゃんと会えるのか…選手には黙っておこう…。それにしても、アテンダントは一体何語を話すんだろう。インドネシア語オンリーではないことは確か。
 選手が羽田に着いてしばらくしたころ、大会事務局の方からメッセージが。「ところで、あなたたちは一体何人で来るの?」って。
ぱーどぅん。(白目)
これは初日から宿なしだなと思った。


学んだこと、後輩に伝えたいこと
今回はレースとは全く関係ないけど、
・やっぱり分からないことがあれば早い段階でなんでも人に聞く!
・知っている情報はできるだけ共有した方がいいと改めて思った。まあ分かってるでしょ、はなし。横の連携がすごく大事だと思いました。そして、自分も注意しないといけないけど、相手も知ってるという前提で話さないように気をつけたい。そして、メールはちゃんと書きたいと思った。うん。

シンカラ0日目 - 京都大学自転車競技部練習日誌